海洋堂と古田悟郎
海洋堂について
株式会社海洋堂は、国内フィギュア制作のパイオニアにして最大手であり、近年のホビー(フィギュア)業界の方向性を激変させた造形集団です。
1964年「創るたのしみをすべての人に」をコンセプトに、日本一のホビーショップを目指し、一坪半の模型屋としてを大阪府守口市に開業。
1984年には東京・茅場町に直営販売店「海洋堂ギャラリー」を開設。自社開発・製造・販売に業務を集中させオリジナルフィギュアメーカーへ転身。
以降、既存のコミックやアニメのキャラクターに偏ることなく
・極めて専門的な知識を伴った動物
・風物のジオラマ的再現
・プラモデルに匹敵する精緻な戦車ミニチュア
・自然史博物館でも立体化されたことのない恐竜の模型
・有名文学作品の挿絵の立体化
など新しいモノ、楽しいモノ、珍しいモノ、面白いモノ、どこにもないモノ、そしてより優れたモノづくりを基本に、誰も想像しなかった題材を、次々にフィギュアにしました。






かつてはスケートの種目としてしか認識されていなかった「フィギュア」という言葉は、海洋堂の精巧な製品によって、精密な立体造形物を示す用語になりました。大阪の小さな模型店としてスタートして以来、精巧で躍動感あふれる造形表現で世界からも注目されるようになり“フィギュア“というひとつの文化を牽引してきた企業として成長したのです。
実際に造形、原型制作を行う人間がメインスタッフを構成するなど、クリエイターが企画やコンセプトを直接担当する独自のスタンスで企業展開を行っています。
リアルで躍動感溢れる独自の造形表現にはファンやコレクターも多く、 特に社会現象にまでなった一大食玩ブームを巻き起こしたことで、それまで マニアックな存在だったフィギュアを大人が鑑賞してコレクションするに値するものへと昇華させました。
以降多くの企業や団体・施設とのコラボレーションを積極的に行い、文化財をはじめ多彩な領域に広がる“ミュージアムフィギュアの確立、そしてアートの領域にも達する造形作家達の作品群など「フィギュアメーカーといえば・・・」 で思いつく第一起想メーカーとして、消費者にとってのマインドシェアナンバーワンフィギュアメーカーとなっています。
これからも将来に向け、全スタッフの感性と技術を更に磨き上げ、現在のキャッチフレーズである「創るモノは夜空にきらめく星の数ほど無限にある」を掲げ、世界に通用するモノづくりを目標に精進してまいります。
古田悟郎について
古田悟郎
1971年 東京都生まれ
0歳よりキッズモデルとしてデビューし、特撮テレビの子役としても活躍。
撮影の合間に虫取りをして遊んだ経験から昆虫やいきものが大好きな少年に。
動物の専門学校へ通っていた際に自宅の近所にあるという理由で渋谷にあった海洋堂直営店・ホビーロビー東京にアルバイトとして勤務。
当時の店長に「アルバイトとはいえ海洋堂のスタッフなのだから完成品くらい造れるようになれ!」と言われ造形の道へ。お店の完成品を任されるようになり、1994年に海洋堂へ塗装師として入社。
入社後は門真の本社へ異動し、チョコエッグのすべてのペイントマスターを塗装。
伊藤若冲の絵に着想を受け、その表現をチョコエッグの彩色にも取り入れた。
その後も塗装師として海洋堂の発表した生物フィギュアの大半のペイントマスターを担当する傍ら、自身が原型制作から塗装まで施した作品は高い芸術性が認められ国内外で高い評価を獲得。
2025年5月にはイタリア・ローマの日本文化会館にて開催された「SAI-SEI-SAN 日本の美~文化の再生産から見る神髄~」で「伊藤若冲の鶏」を発表。新作は若冲のタコ。
爬虫類や古生物への造詣も深く、爬虫類専門誌で個人作品の連載や博物館の展示モデルの制作を担当している。
【古田悟郎コメント】
私は、東京・新宿の信濃町で生まれ育ちました。
都心ではありますが、近くには新宿御苑や明治神宮外苑があり、緑と自然に囲まれた環境でした。
子どものころから、鳥や虫、魚など、いきものたちを観察するのが大好きで、気づけばそのまま大人になり、いきものの姿を形にする仕事をしています。
いきものって、本当におもしろいのです。
色も形も動きも、どれひとつ同じものはなく、どれも美しい。
そんな「おもしろさ」「深さ」「楽しさ」を、フィギュアという形で伝えられたらと思って作っています。命って太古か繋がっている。何億年もね。ある意味、模型化は「供養」とも言える。
今日この展示で、ひとつでも「へぇ〜」とか「すごい!」と思ってもらえたら、もうそれだけで十分です。
よかったら、作品たちに近づいて、じっくり見てあげてください。


